かつての世界では極々限られた人間しか身につけることが許されなかった衣類が時を経て悪気もなしにその地位を奪われる。服に人格はないので管理する人、体制、国が風化することで本来込められた意味も消失する。
近年のわかりやすい例でいうとSS2006のHedi Slimaneが手掛けたDior hommeのナポレオンジャケット。オリジナルの装飾的なディテールは踏襲しつつボディは1970sのadidasのトラックジャケットを彷彿とさせるデザインだ。ナポレオンジャケットの所以でもある立ち襟や袖の切り替えを律儀にコンバートした上で1984年以降Michale Jacksonが好んで着用した真紅のナポレオンジャケットのモダナイズ/イメージハックに成功している。
正直彼と同じレベルのクリエイションをファッション産業に関わる全員に求めるのは酷だろう。とはいえ構成要素が川下に流れていくにつれてより表層的なディテールだけが残りそれらが本来持っていた意味は形骸化する。この産業構造における問題点は大手SPAブランドがゲストデザイナーを招致したりコラボレーションラインを設けることで少し改善されたように見える。ただ大企業がガバナンスを引き締めている一方で無秩序な小規模ブランドが増えている事実は見逃せない。
今一度デザインがどこからやって来てどのような解釈を経て製品化されたのか、果たしてその意義はあったのか今後も観測し続けたい。
近年のわかりやすい例でいうとSS2006のHedi Slimaneが手掛けたDior hommeのナポレオンジャケット。オリジナルの装飾的なディテールは踏襲しつつボディは1970sのadidasのトラックジャケットを彷彿とさせるデザインだ。ナポレオンジャケットの所以でもある立ち襟や袖の切り替えを律儀にコンバートした上で1984年以降Michale Jacksonが好んで着用した真紅のナポレオンジャケットのモダナイズ/イメージハックに成功している。
正直彼と同じレベルのクリエイションをファッション産業に関わる全員に求めるのは酷だろう。とはいえ構成要素が川下に流れていくにつれてより表層的なディテールだけが残りそれらが本来持っていた意味は形骸化する。この産業構造における問題点は大手SPAブランドがゲストデザイナーを招致したりコラボレーションラインを設けることで少し改善されたように見える。ただ大企業がガバナンスを引き締めている一方で無秩序な小規模ブランドが増えている事実は見逃せない。
今一度デザインがどこからやって来てどのような解釈を経て製品化されたのか、果たしてその意義はあったのか今後も観測し続けたい。



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